栃久保山(532m)

今日は茨城のお山3つか、栃木のお山3つを用意したが・・・。
起床遅れが響いて近間の3年越しのお山へ


 
栃久保から
 2014年12月13日のお山めぐりは佐野市(旧田沼町)の地形図無名峰「栃久保山」にしました。

 作原町に向かう途中で道路沿いに駐車しているオレンジ軍団3名から情報収集、流れ弾でも当たりたくないもんねえ。

 栃久保山は予想していた532m標点ピークでした。「ただ山へ登るだけ?」「そうです。」「Y字路を左へ入った沢は×」で大久保山方面は諦めました。その先の路肩に駐車し山支度をしていたら地元の男性2名が寄ってきて登り口まで教えてもらいました。最後に一言、「急登だよ。」とのことですが、もとより承知の上です。

 9時41分に駐車場所から北上しバス停の先で左へ、そして橋を渡り近沢峠への道を登り始めます。左に入る道で民家前の男性から情報収集していると後ろから軽トラが1台、その運転手は駐車場所で話していた男性の1人で現役ワナ猟師さんでした。

 軽トラ荷台のイノシシのワナ猟の仕掛けを見せてもらっていたら、途中の取り付きまでご一緒させてくれるといいます。道は右上に進んでいきますが、畑の縁を直進で林地に辿りつきます。背後には岳ノ山、林地の右側には3体の石仏があります。ワナを仕掛けに行く男性と別れて植林地の斜面を登って行くと放置されたジムニーが一台、左右に作業道が走っていますが、そこから直登のデルピス道を登って行きます。

   
  ここで左へ  現役猟師さんの後を 先に放置ジムニー 
   

 さらに2回る作業道を横断、右上の尾根鞍部直下でデルピス道は消え、けもの道を登って鞍部へ出て左上に登って行きます。尾根上は薄くけもの道模様の筋、そして鹿さんのお土産がポツポツ、急斜面は45度近いようです。

 左下からの尾根に合流し右上へ登るようになると左側雑木、右植林帯になり、尾根上に松が出てきます。傾斜が緩くなって左下からの尾根を合わせたところに横たわったハシゴとその上に石祠があります。11時02分に栃久保山に到着でした。山頂は木越の展望ですが、すぐ右下に雑木の薄いところがあり、地形図無名三角点峰の大久保山が間近に見えました。今日はあちらに再訪予定だったのですが、ハンターさんの狩りの予定地なので主尾根に出て左の高鳥屋山方面へ向かうことにしました。

  
ここで左へ  山頂のハシゴと石祠  山頂右下から大久保山方面
   

 2つの小ピークを越えて主尾根手前の明るい鞍部でエネルギー補給、12時近くなってさっきまで聞こえていた猟犬と銃声は聞こえなくなってきました。20分ほど休憩で再スタートです。主尾根から左へ、小藪の尾根を下りますが破線路はあるものの明瞭な踏み跡はありません。緩やかに下って○時○分、小さな石を見つけました。「右ひこま?ち(おそらく右飛駒道)」の文字が確認できます。上空は雲、風花が舞ってきました。

 この辺りから尾根に凹みの道形が現れますが、尾根が登りになると消滅、499m標点ピーク手前で左が伐採地で展望が開け、雪が舞っているのか少し白っぽいものに覆われて薄くなっている岳ノ山から大鳥屋山、さらに登って標点ピーク近くから雲が切れて陽が当たっている山なみが見えます。

  
主尾根に出て左へ 右ひこまみちの石 岳ノ山から大鳥屋山
   

 499m標点ピークは左に引き込まれますが、すぐに軌道修正し主尾根に戻ります。少し進んで尾根は丁字路、主尾根は右ですが、微妙な凹凸を確認したいので左に下ることにしました。蛭沢集落近くの尾根末端には弘化の石祠一基、微妙な凹凸は見当たりません。等高線が緩そうな右に下って行くと�覆屋と新しそうな石祠、今度は明瞭な踏み跡を下って行きます。民家脇から集落に出るところでは獣除けの網を通過することになります。里山ではバリケードあり、気を抜けませんね。

 
13時31分左に↓栃久保山  弘化の石祠 
  

 幹線道路に出て左折、左上に栃久保山の形が刻々変わるのを見ながら40分で駐車場所到着でした。


 駐車場所(0:03)栃久保バス停(1:13)栃久保山(0:33)主尾根ピーク(0:28)ひこまみち道標(0:36)499m標点ピーク(0:52)蛭沢集落(0:40)駐車場所


 所要時間は4時間51分(歩行4時間25分)、地形図無名峰探訪のミニ尾根歩きでした。


       GPS軌跡図(カシミール3D使用)
  
 この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図 50mメッシュ(標高)を使用した。「承認番号平23情使第678号」
 この地図を第三者がさらに複製又は使用する場合は国土地理院の長の承認が必要です。


 
山支度を解いていたら登る直前で話していた民家の男性が歩いてきました。町史コピーをお見せしたら写真の奥に男性の父君が写っているのだそうです。町史によると「栃久保山の頂に宝暦4年(1754)に建てられた石祠がある・・中略・・。当日は朝から集まって準備をし、栃久保山へ登って、山の神様へ梵天を上げてお参りをする。「オタカモリ」は昼、宿の主人が施主になって次の順序で進められた。・・・・。」とありましたが、この男性の父君が再興したのだそうです。今では梵天はあげず、梯子は正月2日に旗を揚げるのに使うとのことでした。
 (2015.01.16追記 オタカモリは強飯式と思われます。)



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